世界平和統一家庭連合 岐阜家庭教会

創始者・文鮮明師

今週 のみ言
愛がなければ、神様が臨在することができない。

文鮮明師と韓鶴子女史

文鮮明師

誕生とメシヤの自覚

文鮮明先生は、1920年1月6日、韓国の平安北道定州で誕生されました。

10歳のころ一家がキリスト教に改宗し、以来熱心に教会に通われました。

1935年4月17日の早朝、イエス様に出会われ、人類を救い神様を喜ばせるというご自身の使命を自覚されます。この頃に詩「栄光の王冠」を記されました。

以後、次第に深い祈りの世界に入っていかれた先生は、宇宙の根本と原理を少しずつ悟っていかれました。

その日も、いつもと同じように近くの猫頭山(ミョドゥサン)に登って、夜を徹して祈りながら、神様に涙ですがりつきました。なにゆえこのように悲しみと絶望に満ちた世界をつくられたのか、全知全能の神がなぜこの世界を痛みの中に放置しておられるのか、悲惨な祖国のために私は何をしなければならないのか。私は涙を流して何度も神様に尋ねました。

祈りでずっと夜を過ごした後、明け方になって、イエス様が私の前に現れました。風のように忽然と現れたイエス様は、「苦しんでいる人類のゆえに、神様はあまりにも悲しんでおられます。地上で天の御旨に対する特別な使命を果たしなさい」と語られたのです。

(文鮮明『平和を愛する世界人として』第二章より)

 

世界基督教統一神霊協会の創立

1954年5月、ソウルにて世界基督教統一神霊協会を創立され、本格的に宣教を開始されました。

大学街での伝道も盛んに行われ、延世大学校や梨花女子大学校の多くの学生たちも入教しました。

延世大と梨花女子大の退学・免職事件をきっかけに、文先生が55年に逮捕・収監されました。数カ月後、先生は無罪釈放されましたが、以後既成キリスト教会による迫害が本格化しました。

教会を青波洞(チョンパドン)に移された先生は、ほとんど眠らず活動されました。

困難を経て、信徒数は次第に増えていきました。

「誠を投入せよ!眠けの中でも投入せよ!へとへとになるまで投入せよ!おなかが空いても投入せよ!」と何度も何度も自分に言い聞かせ、ありとあらゆる反対とデマの中にあって、種を蒔く心情で祈りました。そして、その種は大きく育って必ず穫り入れられるだろうし、韓国で穫り入れが難しければ、間違いなく世界で穫り入れられるだろうと考えました。

(文鮮明『平和を愛する世界人として』第三章より)

韓鶴子女史との御聖婚

1960年4月11日、40歳の先生は17歳だった韓鶴子女史と御聖婚されました。

韓鶴子女史は、篤実なキリスト教の家系の母により厳しく育てられました。御聖婚以後、文先生を献身的に支えられました。

世界宣教の開始

1958年に日本へ、59年にはアメリカへ宣教師を送られ、世界宣教を開始されました。

1965年には初めての世界巡回に先生自ら向かわれ、日本、アメリカ、ヨーロッパなど40か国を訪ねられました。

1976年には6月1日にニューヨークのヤンキー・スタジアムで(ヤンキー大会)、9月18日にワシントン記念塔前の広場で(ワシントン大会)、大会を成功させられました。文先生は、『ニューズウィーク誌』によって「1976年今年の人物」に選ばれました。

(ワシントン大会において)
私は30万人の群衆の前で、「退廃的なアメリカの青年たちを危機から救い出し、希望の若者にするためにアメリカに来た」と堂々と宣布しました。私が一言一言語るたびに、観衆の中で歓呼の声が上がりました。

(文鮮明『平和を愛する世界人として』第四章より)

 

各分野での貢献

文先生は様々な分野で世界的な貢献をなされました。

  • 1968年 「国際勝共連合」創設
  • 1973年 「世界平和教授アカデミー」創設
  • 1978年~ 毎年「世界言論人会議」主催
  • 1982年  米国で「ワシントン・タイムズ」発刊
  • 1989年  韓国で「世界日報」発刊
  • 1991年 「世界平和宗教連合」、「世界平和連合」創設
  • 1996年 「世界平和家庭連合」創設

1990年4月にはモスクワでゴルバチョフ大統領と、1991年12月6日には北朝鮮で金日成主席と歴史的な会談をされました。

1992年8月の「世界文化体育大典」では、国際会議に参加した学者や文化人を前に「メシヤ宣布」を行い、自らが再臨主であることを公に宣言されました。

2009年3月、文鮮明師の自叙伝『平和を愛する世界人として』を韓国で刊行されました。日本語、英語でも出版されています。

(北朝鮮での金日成主席との会談で)
麻田(マジョン)主席公館に入ると、金日成主席が先に出てきて待っていました。私たちはどちらからともなくお互いに抱き合いました。私は徹底した反共主義者であり、金主席は共産党(朝鮮労働党)の頭目ですが、二人の出会いに理念や信仰は重要なものではありませんでした。私たちは、長い間生き別れになっていた兄弟と同じでした。それがまさに血が通う民族の力です。

(文鮮明『平和を愛する世界人として』第六章より)

聖和(逝去)

2012年9月3日午前1時54分、肺炎などの合併症のため、韓国京畿道加平郡の病院にて聖和(逝去)されました。

満92歳でした。

 

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